昭和の時代、日本は文系が偉いとされる社会でした。
理系はコミュニケーション能力に難があり、文系の方が人の上に立つ器がある、というのが昭和生まれの大方の理解なのだと思っています。これ、ウソです。研究が好きな理系が、ものづくり大国日本を安いお給料で支えてきたわけです。好きなことをやっているのだから安くていい、偉くなくていいという感じだったんでしょう。
今は全く逆です、価値を生み出せるなら世界中を探せば、いくらでもお金をくれる企業があります。好きなことがやれてお金持ちにもなれるなら、そっち行きますわ。そして、IT革命以後は理系が価値を生み出す中心になっています。そのため優秀な理系学生はGAFAMへ行きたがり、NTTへ就職してもGoogleに転職してしまうわけです。
私の率直な感想を述べると、どうでもいい、です。だって、勉強って、しょせん遊びです。昔は出世のために勉強したらしいですが(故中曽根元総理のドキュメンタリーを見て)、今はただ勉強したところで、出世もできず幸せにもなれません。お金稼ぎができるほど価値が生み出せる理系も一握りです。
大切にすべきことは、自分が何を楽しいと感じるかを知ることです。できれば、できる限り早い時期に。
そうはいっても、どうしてもこれからの時代、有利に生きていきたい。お給料をたくさんもらいたい。ビジネスをうまくやっていきたい。という中高生がいた場合を想定して、割り切って理系と文系のどちらがおすすめかを、元理系の文系職の私の考えを述べたいと思います。
結論 好きなことしろ。
好きなことやればいいんですよ。後から、20代まではいくらでも行先を変更できます。気合いがあれば。
絶対にやってはいけないのは、今コンピューターサイエンスに行った人がめちゃめちゃ稼いでいる(Google創業者2人のように)からという理由で、情報学科とかに行くことです。自分が油の乗った良い年齢になったときには必ず時代遅れになっています。エリートは豊田自動織機へ行き、非エリートがトヨタ自動車へ行っていた時代を想像してください。何もやりたいことがないのなら、ここ100年くらいを見て、役立っている学問をすると良いのではないでしょうか。例えば、応用物理、応用科化学とかが典型だと思いますが、人によっては、大学へ行く4年間で、いっそのこと自由に暮らせばよいと思います。私は1浪しましたが、それでも全大学に落ちていたら(もし第1希望しか受けていなかったら全落ち)、大学に在籍せずに興味のあるバイトをしつつ、東大や早稲田の興味のある授業に潜ってニートをしていたでしょう。あるいは貧乏世界旅行へ行っていたのかもしれません。
注意!ここでの勉強は学校の勉強だけじゃないです。住宅の基礎を造る職人の技術も勉強だし、農家で作物をつくるのも勉強です。
全ての人に広義の勉強を強制する今の社会もどうかと思いますが、このトレンドは我々が生きている間は変わらないでしょう。
もっと、みんなダラダラと、何もすることがないからという理由とかで、ゲームをしていても幸せに生きれる世界になると良いのですが。
産業革命とIT革命が悪い!また次の技術革命(たぶんブロックチェーンなんですけど)が来たら、また加速しちゃう。
牧歌的な世界に動物として生きたいです。