YMOとその周辺 私を作った人々

2022年8月30日
Posted in コラム
2022年8月30日 飯野悠美子

YMOは1983年に解散しています。私が生まれたのは1980年。散開とかいって気持ち悪い言い方をしていますが、それがYMOです。大好きすぎて大嫌い。YMOが好きというのは、なんか恥ずかしい。そんな存在です。でも、私の核の一部は明らかにYMOでできています。

私がYMOに出会ったのは、実はリアルタイムです。1993年にイベント的に再結成したときです。そのライブ映像が深夜NHKでやっていました。13歳、中1の時だと思います。なんだこの音楽は、なんでテレビでこんなのやってんだ?と思いました。私は、ピアノの先生が富士市のクラシック協会の会長をやっていたこともあり、月1くらいでクラシックのコンサートに行っていました。しかもとびきり上質なやつだったらしい。でも、そのころの私はコンサートに行くのが苦痛でしょうがなかったのです。かといって、ライブハウスとかもダサいと思っていた、クソ生意気なガキでした。

そこで、新生YMOの音に撃ち抜かれました。自分がいつも行っているコンサートのようなのに、めっちゃかっこいいじゃんこれ!!YMOという名前すら、そこから数年、知りませんでした。テレビのチャンネルを回していたら偶然ライブ映像に出会ったからです。そのころ、元農家で倹約家でじゃっかん頭の弱い家庭で(プログラミングをしたかったので、パソコンを中学生のころ買ってもらいましたが、なんとBASICを買ってくれませんでした。パソコンなんてソフトがなきゃ、ただの邪魔な箱です。どうやら親はファミコンの上位互換だと思っていたようです。その理解は間違ってはいませんが)、文化もなく、1日100円のお小遣いで文化を感じるには、「ワーズワースの庭で」や「ソリトン金の斧銀の斧」を観るしかありませんでした。その時間になったら、テレビの前で全集中常中で正座して全部記憶する気合いで観ていました。短期記憶がとっても弱い私は、興味のある分野は、頭の中で反芻しました。難しい言葉がわからない年齢だったので、ぼんやりとしたイメージしか残っていません。その後、NHK深夜に「ソリトンSIDEB」という番組が始まります。そのパーソナリティが坂本龍一バンドの構成員の1人高野寛でした。その縁もあってか、YMOのメンバーとの対談や、YMO特集をやってくれました。あー、あのとき観た3人はYMOっていうんだと、その時知りました。

いまや反原発おじいちゃんになってしまった坂本龍一も、まだ今の私より少し年上くらいですね。

元坂本龍一の奥様でYMOのサポートメンバーの矢野顕子と細野晴臣の回もあります。もうね、このコラム読まなくていいので、観てください。YMOについては、また書きたいと思います。自我が目覚めた後の私の全ては、ここから始まっているからです。2つの動画で2時間ですが、絶対に損はさせません。いや、合わない人もいるかもしれないので損するかもしれません。ただ、日本の音楽文化を作り、高めていった偉大な人々だということはわかっていてほしいです。このグループがなければ、今の日本の音楽は全く違うかたちをしていたでしょう。歌謡曲と演歌が中心だったかもしれません。

最近、YMOの中心メンバー細野晴臣のBlu-ray3枚組が、細野晴臣の音楽活動の総集編として発売されました。説明文を読んで0,1秒で買いました。もったいなくて、時間ができるまで封を開けていません。MUST BUY!!!!!!!!!!!!!!


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