必見!Special記事 海外旅行記 ヨルダン

2022年9月4日
Posted in コラム
2022年9月4日 飯野悠美子

今回の記事はスペシャル! 気合いが入っています。ぜひ目をとおしてください。動画や写真がたくさんです。

 

私は確定申告が終わり、法人の引き継ぎも終わった4月に東京の右山事務所を退職し、6月に開業届けを出しました。しかし、開業後、1年間ほど自由にすごしていました。まず、開業の翌月に1ヶ月ヨーロッパ周遊旅行へ行きました。そして、その年の年末年始に1ヶ月、ヨルダンとイスラエルへ行きました。

ヨルダン旅行は、最初の宿の予約と航空券2つだけとって、あとはその場で決めるという感じで行きました。羽田でエティハド航空の人に席が足りないので、便を変えてくれと頼まれてOKしたらビジネスクラスに変えてくれました。そして、結局席が足りて、同じ便でビジネスクラスに乗れました。エティハド航空のビジネスクラスは完全に横になって寝れるので、とても快適でした。食事もコース料理、どうやらイスラム圏では選択肢が多いことが贅沢らしく、英語でとんでもない量の料理から選ばされたので、当然何がなんだかわからず、適当にオーダーしました。お皿も陶器でした。ビジネスクラスってすごいんだなと、そのとき初めて思いました。

行きは羽田からヨルダンの首都アンマンへ、帰りはイスラエルのテルアビブからの航空券をとって行きました。つまり、アンマンからテルアビブにたどり着けないとアウトです。アドベンチャー!

時系列がぐちゃぐちゃに書いてあるので、まずは時系列で記載しておきます。

羽田発→ヨルダンのアンマン→最初の宿→ガイドさん雇う※→ガイドさんとヨルダン中を周遊開始→なんかおぼえてないところ→ワディラム砂漠とペトラ遺跡→ヨルダン最南端の街アカバ→死海→アンマンに住むように暮らす→イスラエルへGO

※雇った理由は、その前夜にタクシー強盗にあって命の危険を感じたため。本当は自由な旅行が好きなので死なないなら雇いたくなかった。

ヨルダンは国内のメイン観光地を周り、最後に首都アンマンに住むように滞在していました。タイトル画像はアンマンに住んでた時の画像です。非常に安価なのに、お願いすると夕飯を作ってくれる優しいおじさんのマンスールホテル(別名コーダホテル)に泊っていました。私はオーナーを親しみを込めておっさんと呼んでいました。非常に親日で、日本人旅行者御用達の宿でした。親日の理由は非常に悲しい理由です。

最初の宿は、宿ってもんじゃなかったです、ベッドのある鳥屋さんです笑。でも一応24時間受付をしていて、受付の中高生くらいの子に頼んだら、夜中の3時にシーシャを出してくれました。そこで無資格のガイドさんを雇いました。その人の英語も微妙(私が微妙とわかるということは相当微妙ってことです)、私の英語のリスニング能力もほぼゼロで、理解できるまで何度でも聞く戦法です。そしてガイドさんとのコミュニケーションで、日本の気遣いは、この国では失礼にあたるということもわかりました。「Don’t lie!」と厳しく言われました。「私にウソを言わないで!全部希望を言って!お金貰ってるんだから横暴なくらいに振るまって!」という感じでした。その人と、ぐるっとヨルダン全体を回った後に死海でバイバイし、死海からアンマンへ戻り、コーダホテルに住むように暮らしていました。イスラエルへ行くまで1週間ほどいたと思います。そこで日本人の元高校の先生と仲良くなりました。その方は世界一周旅行中でした。その方は、親しい友人が早くに亡くなり、やりたいことを早めにやっておかないと後悔すると思って世界旅行をしている方でした。その方の年齢では高校の先生がほとんどいないので、再就職が簡単というのも世界一周旅行を決行した理由だったようです。

中東は国の認識が、宗教によって異なるため事情が複雑です。そのため、先にヨルダンからイスラエルへの国境越えの話をします。

ヨルダンからイスラエルへの陸路での国境超えの難易度が世界一厳しいと有名です。人によってはガッチガチに詰問されます。私はその方と一緒に国境を越えることにしました。経験豊かな人と一緒じゃないと、めちゃくちゃ不安だったからです。

前提として、イスラム系の人にとってはイスラエルという国は存在せず、パレスチナという国だけが存在します。そしてイスラエルにあるエルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教、3つの宗教の聖地です(旧市街の入り口の門は鉄が貼ってあるのですが、銃弾の跡で蜂の巣です。歴史的には宗教間でめちゃめちゃ喧嘩しています。)。国境を管理しているのは、イスラエルを国と捉えるユダヤ人なので、イスラム教色の強い国のスタンプが押してあると、別室に閉じ込められて1時間面接です。私と一緒に国境超えにトライした方のパスポートには、ありとあらゆる国のスタンプが押してあり別室送りでした。私は旅行難易度がちょっと高い国の初心者で、あまりスタンプがなく、大丈夫でした。※1

イスラエルのスタンプが押してあると入国できないイスラム系の国がめちゃめちゃ増えます。そのため、地球の歩き方には、ノースタンプって言えと書いてあるのですが、あまりにそう言う人が多かったようで、私の時はシールでした。今も貼らずにパスポートに挟んであります。2018年の1月4日に国境越えしてますね。開業5年たって6年目なんですけど、実質の開業はいったい、いつなんでしょうか。たぶん、実質は、今の事務所を賃貸しはじめてからの3年くらいじゃないかと思います。

最悪なことに日本をたつ約1週間前に、トランプがイスラエルの首都をエルサレムにするって言いやがりました。これはイスラム教の人激おこですよ。テロリスク急上昇。→当時のBBCニュース

トランプのニュースは、結果的に良い結果となりました。ヨルダンもイスラエルもテロに厳戒態勢で、テロは起こらず。一番、緊張すべき定期的にバスが爆発するエルサレムからテルアビブのバス移動は、疲れすぎて寝ていて、気づいたらテルアビブに着いていました。

 

ヨルダンで反米国デモ(アラビア語でわからないので推測ですが、トランプのカリカチュアがあったので、たぶんそう。)を見ることができました!下の動画です。

今回の記事の目玉 イスラエルの首都がエルサレムになったことによる反米デモの動画

男性が前、女性が後と、きちんと分かれているところに文化の違いを感じてください。イスラム教の女性は、夫以外の男性に笑顔を向けてはいけません。そのくらい男女の関係が厳格です。

(撮影:飯野明宏 以後の動画も全部私が撮影)

海外旅行の楽しみの1つにマーケットがあります。買い物をする場所です。

ヨルダンの主食ピタパンをつくるおじさん 非常に愉快です。

 

モノを売ろうと頑張る子供 カメラを向けられ嬉しくて手がとまる

 

なぜか全員写真に写りたがるヨルダン人 写真大好き

 

次は、あまり面白くなかったガイドさんとの旅行動画

自分は、適度な危険と自由を感じないと全然旅行は楽しくないことを実感。だから私は、国内旅行が全く楽しくないです。ツアーだったら拷問です。

ワディラム砂漠 風景がこの世のものとは思えないくらい美しい 下は仲良くなったオーストラリア人にとってもらった写真

旅行へ行くときの服と靴はバブアーのジャケットとエアフォース1が最強。今だったら、毎日履いてるRokxのロッククライミング用のズボンかな。このころはまだブルックスブラザーズのチノパン履いてますね。

インディージョーンズのロケにも使われたペトラ遺跡 外国人観光客だけ入場料がめちゃくちゃ高い

 

アカバという都市(ヨルダンの最南端の海沿いの都市)の非常に美しい紅海

ここから、船でエジプトへ行こうかどうか相当悩みました。でも、エジプトのダハブからイスラエルへ行くのに真っ赤な地帯を通る必要があり、まだ死ぬわけにはいかないと思い、とりあえず死海までガイドさんに送ってもらいました。

これで、ガイドさんから開放される。自由だー!

 

死海

死海は、世界で最も標高が低い場所で、飽和食塩水でできた湖です。よく、こんな感じで人が浮いて新聞を読んでいる写真がありますよね。そこです。ちなみに、涼しい顔していますけど、ちょっとでも体に傷があると(普通ある)、そこがめちゃくちゃ染みて痛いです。私1人だったので、浮いてる動画はありません。ちゃんと浮いてきました。めちゃくちゃ全身痛かったです。あと、長く浸ると危険です。食塩水に体の水分がどんどん吸い取られるからです。

(この画像は、著作権フリー画像)

死海の動画 塩のつぶがデカくて綺麗

 

死海リゾートホテル 最高級のホテルに世界最安値で泊まれるということで行ったけど3日で飽きたとこ(当初10日くらい予約、その後5日、3日と短縮) ちなみに日本にないドイツ系のホテルKempinski 

ここを3日で飽きたことで(というより本当は1日で飽きていて、あと2日は我慢)、自分は贅沢な体験よりも、強い刺激が好きだと認識しました。

Kempinskiはとにかく、オブジェが贅沢。後の事務所づくり参考用に撮った動画 タイ古式マッサージルーム

そしてアンマンへ戻りました。死海のホテル前のタクシーは100%ボッタクリなので、旅行のプロはバス停まで歩き、そこからバスに乗るようなのですが、私は迷ったら死ぬと思い、ホテルの送迎を利用。高い。といっても数百キロで5,000円。コーダホテルへ。

私が愛するコーダホテル前の街並み 典型的なヨルダンの都市の様子

 

最後に、完全にヨルダン人の格好をして、めっちゃ喜ばれる私。歩くと子供がついてくるレベル。自分の国が気に入られることを本気で喜んでくれた。(防寒具もヨルダン人がよく来ているやつと、真冬だけどマーケットで買った100円くらいのサンダル履いています。ヨルダン人がそうしていたので。今も実家の土間で使用中。)

次回の旅行記はイスラエル編です。時間があるときに。いつかヨーロッパ編も書きたいですが、めっちゃいろんなことがあったので、だいぶ先になると思います。

 

※1

旅行難易度は外務省のサイトを必ず確認します。治安としては、ほぼほぼ、「十分注意」でシリアとイラクの国境付近は、「不要不急の渡航中止」が要請されています。強制ではありません。例えば、仲良くなった上記の彼がオススメの国ソマリアは真っ赤です。特にその中にある未承認独立国家ソマリランドをオススメされたので、ソマリランドの書籍を買いました。日本の中古バスが日本語のラッピング広告付きでたくさん走っています。「退避勧告」を無視して、旅行をしている人もいます。国によっては護衛(ちゃんと銃を持った人)を雇わないと旅行できないルールの国もあるらしいです。そして雇って行くようです。信じられない。私も死ぬことをあまり恐れませんが、私よりも命知らずがそこら中にいます。そういう国に入国する場合は、日本領事館へ行き、許可をとるようなのですが、全力で止められるようです。「自己責任ですよ!死んでも日本政府は責任とりませんよ!」みたいなことを言われるようです。ちなみに、いわゆる普通の国の例としてフランスを並べると、真っ白です。何も危険なことはないという意味です。あくまで目安で、フランス旅行をした時は、燃えてしまう前のノートルダム寺院に私が訪れる前日に小さなテロがあったということを、訪れた後、知りました。ノートルダム寺院へのパリ市民の思いを現場で感じていたため、火事になってしまったときは、私もニュースを見て、茫然自失でした。パリで最も重要な建造物は、ルーブル美術館でも、エッフェル塔でも、凱旋門でもなく、ノートルダム寺院です。印象としてはパリ市民にとっては、他は観光地、ノートルダム寺院は市民としての誇りと宗教的な気持ちの支えです。

 

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