『ビジョナリーカンパニー2』の3回目。
前回は、どんな経営者が企業を偉大にするのか、について説明しました。この本を読んで以降、私は常に「第5水準のリーダー」になれるように心がけています。
今回は、全ては人から始まる、ということについて説明します。なんと本書によると、事業のゴールは、人がそろってから決めるというのです。
引用です。“偉大な企業への飛躍をもたらした経営者は、まずはじめにバスの目的地を決め、つぎに目的地までの旅をともにする人びとをバスに乗せる方法をとったわけではない。まずはじめに、適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、その後にどこに向かうべきかを決めている。”
なぜか?
理由その1 環境に適応しやすくなる。
バスが少し進んだところで、行き先を変えなければならなくなってしまったら?そもそも、バスに乗った人が素晴らしいからこのバスに乗っているから行き先なんて関係ない。目的地を変えた方がうまくいくなら、そうしよう。
理由その2 動機付けの問題や管理の問題はほぼなくなる。
適切な人材なら厳しく管理する必要はないし、やる気を引き出す必要もない。偉大なものを築きあげる動きにくわわろうという意欲を各人がもっている。
とてもアメリカっぽいな、と私は思いました。日本は、バスに乗せるのは簡単でも、バスから降ろすのは難しい。労働法が理由です。「第5水準のリーダーシップ」は私自身の問題だけど、どうやら、「誰をバスに乗せるのか?」は絶対に実現しなければいけないようだ、困ったな、と私は思いました。
私は事務所の従業員を事務所内では「メンバー」と言うことにしています。これは、バスに乗るメンバーという意味です。
そこで私が考えたのは、基本的な環境は中小企業で1番くらいのホワイトさにすることで良い人は残る。お金だけではありません(うちは、残業が原則ないので総額は低いですが、時給換算ですと高い方だと思います。)。出勤も仕事さえ終わらすことができれば、自由です。原則、残業はなし。必要があれば、勤務時間内に、自由に、本を読んだり、ウェブ講義を受けたりできます。成長の実感や社会への貢献も感じることができます。
その反面、仕事の仕方をものすごく難易度の高いものにしてあります。そうすると、仕事のできない人は自然と去っていきます。自分で何をしなければいけないか特定し、自分で書籍やディスカッションから知識を得て、自分の頭で考え、自分で問題を設定し、自分で解決できる人以外、うちでの仕事は務まりません(なので安易な気持ちで応募してこない方が良いです。必ず無力感に打ちひしがれます。内定の基準は低いですが。それは働いてみないと能力はわからないし、できなければ去るからです。)。問題は、何も仕事をしないで座っているだけでお給料をもらおうとする悪い人の存在です。これについては私も解決方法は見つかっていません。悲しいことですが結構います。労働法が適正に改正される日も近いと思うので、その日を楽しみにしています。
この結果、責任感があり、考える力があり、それ相当の処理能力がある人しか、少なくとも現時点では、うちには残っていません。(中には、東京に生まれてたら、この人絶対に東大文科3類(文学部等)に行ってたな、という人もいます。なぜなら、明らかに私より頭が良いからです。)
最初はできなくても良いんです。無力感に打ちひしがれ環境から否定されたような気分になるでしょう。そこから歯を食いしばって、私が言ったとおりにやれば、必ず能力は伸びます(その努力を開始すらしない人が多いのですが)。
日本語では「責任感」という言葉に集約されてしまいますが、うちの事務所ではOwnershipとCommitmentに分けています。お客様のことを自分ごとのように考える、全身全霊をかけて仕事にコミットする。これさえできれば、他は後からついてきます。そして、これができない人は、残念ながらうちでは生存できません。そしてバスから降りていくのです。
次に前回と今回を合わせて考えてみましょう。
第4水準のリーダーは、能力の高い「兵士」を集め、あらかじめ決められた目的地へ向かう。
第5水準のリーダーは、適切な人材が集まった後、偉大な企業になる最適な道を見つける。
私はいまだ、適切な人材を集めている最中だと思っています。