静岡県立富士高等学校100周年記念 寄稿しました。アップデート情報もあります。

2022年10月31日
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2022年10月31日 管理人

富士高100

書き起こしです。

「自由と夢」

 富士工に入学したとき感じたのは、自由でした。中学生時代は、私たしの前の世代が荒れていた影響でしょうか、先生達の締め付けが強く、厳格に管理され、自由というものを感じませんでした。富士高に入学した後、建物の天井がなく、空が広がっているかのような自由な感覚を感じました。特に、今はなき、部室があったゼロ号棟には、若者の情熱のような空気と自由な雰囲気が広がっており、私はとても好きでした。

 また、富士高の同級生は、学力は勿論のこと、人格的にも優れた方々が多いです。おそらく、私たちの世代では高校受験での競争というものがなく、地頭が良く、リーダーシップを発揮してきた方々で、同級生のほぼ全員が構成されていたからだと思います。

 富士高の卒業生の多くは、「高校時代が一番楽しかった」と言う、ということを聞いたことがあります。私もその一人です。あのころは何者でもなく、将来が何もみえておらず、無限の選択肢の中、がむしゃらに、より高いところへ突き進んでいました。

以上が寄稿した記事です。

字数に制限がないので、アップデート情報を、お伝えしようと思います。

突然ですが、皆様は、「友達」をどのように考えていますでしょうか?「私には友達がいない」あるいは、「私は友達がたくさんいる」。人によって様々だと思います。私は、前者の方は「友達」の定義が厳格で、相当強い絆がないと友達と呼ばない方、後者の方は、少しでも仲が良ければ友達という方だと思います。私は、後者です。

本当に仲の良い友達は高校時代の2人で、結婚披露宴にも出席していただきました。それ以外の、全ての知り合いは、悪い人、私に害を与えたり陥れたりする人以外は、私にとっては全員友達です。私はどちらかというと、ひきこもり気質で外交的な方ではありません。しかも、ミレニアル世代の第1代目デジタルネイティブに、一応カテゴライズされるからなのでしょうか、それとも、私の性格なのかもしれませんが、めんどくさいこと(そのため事務所は非常に効率的になります)、楽しくないこと、嫌だけど周りに合わせることを、一切しません。無理やり、これらのことをすると、強烈なストレスを感じる、そういう性格です。そのくせ、寂しがりやです。そのためか、意識的にか、無意識的にか、友達というものを広く定義しています。

そういう意味では、富士高は天国でした。勉強さえしていれば、あとは自由。2年生の最後に、初めて彼女ができてからは、本当に全く勉強せず、簡単な全国模試で、偏差値70から30まで落ちたので(高3の範囲が全て抜けているので当然ですが)、勉強しなくても自由でした。深夜ラジオが好きだったので、2限から登校したり、高校がボランティアでやってくれた夏季講習を欠席してデートしたり、やりたい放題でした。偏差値30なのに、国立の医学部志望でしたので、当然、浪人生になります。今はなき、代々木ゼミナール世田谷寮というところで浪人生活を送っていたのですが、元富士高生が私を含め4人いました。代々木ゼミナール代々木校の近くに、河合塾もあり、そこに1人元富士高生がいて、だいたい、この5人でつるんでいました。寮や予備校には、たくさんの生徒がいますが、人格者であるという点では、富士高生は群を抜いていました。そのため、寮や予備校では、お話をすることはあっても、仲の良い友達は、結局できませんでした。これは、私が慶應義塾大学へ入学した時も同じです。正直、富士高よりもレベルが低いと思いました。皆、勉強はできるのですが、何かが欠けているのです。その何かは、よくわかりません。時は、アムラー全盛時代、私は、図書館と、興味のある一般教養科目の「美術」と「現代芸術」、それから出席しないとバレる「実験」以外は、大学へ行かなくなりました。代わりに、高校の同級生が進学した美術大学の方々と仲良くしてもらっていました(彼らの指導教官には昭和の教養主義の中心人物もいたため、少し衒学的でしたが、とても物事を良く知っていました。彼らのおかげで、知識の範囲がおもいっきり広がりました)。このころ、私は実験が苦手で、理系の就職をしたら不幸になることがわかってしまったので、真面目だった私は、今では笑ってしまうような考え方ですが、サラリーマンの勉強をしようと考えるようになりました。当初の予定では、在学中に公認会計士試験に合格し、グローバル企業で働き、スタンフォード大学かMITでMBAを取得する気でいました。これが誤算で、当時の私には、公認会計士に受かる基礎的な日本語の能力がありませんでした。そのため、受かったのは大学卒業をした4年後、早稲田大学大学院1年生のときです。早稲田大学大学院へ進学した動機も不純で、このまま30歳になったら一生ニート確定だと思い、その前に新卒キップを手に入れて1年生で合格できなければ、普通に就職活動をしようと思っていました。話を、慶應義塾大学時代に戻すと、正直1年時、2年時の勉強は簡単で、テストと友達に出席の代返をしてもらうだけで単位が取れました。しかし、突然3年時から勉強についていけなくなりました。実験をしなくてよいという不純な動機で選択した研究室が、半数が東大で博士課程を取得するという物理学者養成道場のような研究室だったからです。物理学者になることを本気で目指し、そのために全精力を日夜注いでいる人しかいない環境に突然放りこまれ、心の中は「何をおっしゃっているんでしょうか?」という状態でした。卒業させていただき、本当にありがとうございます。

15年ほど前の自分は、本当に自身過剰で、その後、監査法人や一流の税理士事務所でボコボコにされ、鍛えら、少し丸くなったとは思いますが。妻からは、圧倒的に自信過剰だと思われているようです。おそらく、通常は18歳の大学受験でやめてしまう強度の高い勉強を、可能な限りで、42歳の今も続けており、知識の総量が全く異なるため、そう見えるのかもしれません。

私の特性を活かすために、事務所も組織的に展開することにしました。しかし、最近アウトプットしかしておらず、抽象度の高い書籍が読めていません。このインプットは当事務所のかじ取りを適切にするため、お客様へ間違いのない経営支援をするための、当事務所における重要な競争優位な源泉だと思っているので、早くインプット7割アウトプット3割の生活に戻りたいです。

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